お餅の歴史

そもそも、
お餅はいつ頃から
食べられていたので
しょうか?

餅が古くから神妙な食べ物であることを物語る伝説の一つに、奈良時代に編纂された『豊後国風土記』(713年)というふるさとの起こりを書いた本があります。

豊後の国(現在の大分県)の球珠速水(くすはやみ)の郡(こおり)の田野(たの)に住んでいた人達は水田を作って稲作を行っていました。余った米で大きな餅を作ってそれを的にして矢で射ると、その餅は白い鳥になって飛んでいってしまった。その後、家は衰え、水田は荒れ果てた野になってしまったというお話です。
餅はおそらく白くて丸く大きな平たいものだったのでしょう。

白い餅は縁起のよい白鳥に連想されていて、神秘な霊を宿すものと考えられていました。そのため、粗末に扱うことのないようにという意味が込められていたのでしょう。
伝説の餅が稲の神様である稲霊(いなだま) を象徴していたように、日本では餅は単なるおいしい食べ物ではなく、神が宿る特別な存在として敬(うやま)われてきました。

餅を食べると力がつき、新しく生命を再生させる霊力(れいりょく)があると信じられ、ハレの日(お祝いのある特別な日)に餅を食べる習慣が広がったのです。

鏡餅が丸いのは
理由があった

鏡餅の形は平たくて丸く、どっしりとしています。その形はまるで満月のようです。
その形は一説には人の魂がこもる心臓を模したと言われています。また社会や、人間同士のお付き合いが円満であることをあらわしていると言います。
そういった願いと長寿を祈願するために、正月にやってくる年神様に福と徳を重ねがさねよろしくいただくということで二段重ねにして床の間に供えました。

鏡開きとは

1月11日は「鏡開き」の日です。
武家社会では古くは1月20日でした。江戸時代になって1月11日になりました。田舎の地方によって日取りはまちまちでした。神様にお供えした鏡餅や餅を下げて、家族みんなでありがたく頂きましょう。 正月、神様は新しい生命を与えるために現れると信じられてきました。神様に供えた鏡餅には、神様の霊力が宿っていると言われています。

参考文献 : 奥村彪生/『おくむらあやお ふるさとの伝承料理11 わくわくお正月とおもち』農文協刊
監修:伝承料理研究家 奥村彪生